本の作り方


本稿は、過去にわたしがWeb上で発表した、編集の仕事の紹介記事を再編集したものです。

Copyright Alice Rimon, 2020-2022


1 ITを活用した本作り

編集者にとって、印刷所から出てくる青校1を戻すことが、その本の編集作業の終わりを意味します。2021年のある時、とりあえず青校を戻したところで、最近の仕事のやり方を振り返ってみることにしました。

1.1 出版分野のDX状況

出版にいたる複雑な工程は、専門的であるがゆえに、むしろ特化した電子化が進んでいる領域です。

著者や翻訳はクラウドプラットフォーム上で脱稿し、編集はリビジョン管理システムでレビューし、制作はTeXやAdobeCS上で完版させ、印刷所はCTS2で刷ります。また、それら全体を統合する出版プラットフォームのようなシステムもあります。

電子化が進んだ本の編集進行は、リモートワークとの相性も良く、今回の新型コロナ渦中の進行では、1度も人と会わずに、宅配便を2回使っただけで、青校まで戻せました。その進行を支えている環境をまとめます。

というわけで、青校を戻してテンションが高まっているうちに、わたしが実践している電子化された編集ワークフローを、紹介したいと思います。

  

  青校はこんな感じで出てくる。最近は「白焼きプルーフ」と呼ぶそうだ


2 電子化された編集作業の実践

著者や翻訳者から原稿を受け取り、編集作業を行い、印刷所に印刷入稿し、青校を戻すところまでが、編集者の実務となる仕事です。最近は、この作業の大部分が電子化されています。今ふうに言うなら、DX化されています。

その実践を解説していきます。

2.1 マークアップによる原稿整理

あなたが小学生であった経験があるなら、国語の授業で原稿用紙の書き方を学んだと思います。縦書きなら、最右行の真ん中にタイトルを書き、その次の行の下には名前を、箇条書きには・(ナカグロ)を、本文は1文字字下げして書き始めます。

もしその原稿を活字にして文集として印刷するなら、活版所の受付がそれぞれの箇所に、[タイトル]、[著者]、[箇条書き]、[字下げ]などと赤字で指示を入れ、植字工のジョバンニ3に渡します。

2.1.1 原稿整理とは何を整理するのか?

赤字で指定した小学生の原稿の例を挙げます。

  

  伝統的な原稿用紙の使い方

原稿整理とは、伝統的には、編集が赤字であれこれ指定する作業のことです。赤字を入れた指定済み原稿を印刷所に持ち込むと、そこから先は、印刷所が原稿赤字という情報に切り分けてから、各工程の印刷作業が進んでいたのです。

なんというすばらしい分業体制なのでしょう。Webコンテンツ作成の基本としてもよく言われるように、コンテンツ(html)とデザイン(CSS)の分離は、印刷機が開発された600年前から、すでに存在していたことになります。

ここで重要なのは、原稿本文(テキスト)に対して、それ以外の指示や指定(デザイン)を、すべて赤字で書き込んでいることです。

つまり、原稿整理とは、

と、まとめることができます。

2.1.2 原稿整理を電子化するには?

原稿とその扱い方法を切り分けて処理することを、情報処理的には、「テキストを構造化する」とか、「メタタグで修飾(マークアップ)する」と呼んでいます。

では、電子化された編集作業では、具体的に何をどうするのでしょう。

2.1.3 原稿にマークアップ(メタタグ)を付けてみる

電子化された原稿整理の作業を見てみます。

編集者は原稿を受け取ったら、ひとまずプレーンテキスト形式に変換してからエディタで開き、原稿を眺めてみます。そして、タイトルらしいところ、著者と思われるところ、太字にしたいところには、それぞれ、

といった具合に、印(しるし)をつけていきます。印の書き方(記法)は、今は気にしないでください。

それがつまり、マークアップを使った、電子化された原稿整理の具体例です。さきほどの原稿を例にすると、エディタを使って次のようなテキストファイルを作成します。

%みんなといっしょ

<div style="text-align: right;">
愛だ誠
</div>

ぼくは、みんなといっしょに悪いことをするのが好きです。
そのとき、

- SAMEという同調圧力や
- WITHのようなポリコレ感

を持ちますが、気が小さいのでいつも
**みんなといっしょ!**と参加してしまいます。

2.1.4 マークアップされた原稿を処理すると……

上の例では、<div>~</div>のような突然ガチなhtml記法が登場しますが、これも今は気にしないでください4。その結果、

上のテキストを処理すると、次のようなhtmlドキュメントが生成されました。

  

  みんなといっしょ

つまり、テキストにマークアップする、というアイデアによって、今まで赤ペンでやっていたことを電子化することができるのです。

プログラムコードを書くように、一定のルール(記法)でテキストをマークアップしておけば、あとは機械まかせで何とかなるだろうと考えて、適当にマークを付ければよいのです。

マークアップは自分で定義してもよい

マークアップの記法は何百種類も開発されていますが、自分で定義すれば、それが自分の記法になります。

たとえば、★~☆で囲んだテキストは、自分で太字にするつもりでさえあれば良いのです。実際にどうするかは、あとで考えます。

上の例での記法は、markdownと呼ばれる記法です5

マークアップのしかたに一定の秩序や法則があれば、自分が定義したものをマークアップ言語と呼んでかまいません。

htmlもxmlもTeXもmarkdownもはてなの記法も、テキストを修飾している印は、すべてマークアップ言語です。そして編集者が原稿を整理することの本質とは、テキストをマークアップして構造化することにほかなりません。

2.1.5 テキスト以外の原稿

多くの本では、情報の大部分をテキストが占めます。画像などグラフィック要素はどう扱えばよいのでしょうか。それらは図版原稿として別途整理し、DTPオペレータが画像を調整し、原稿中には、

![伝統的な原稿用紙の使い方](images_mkbook01/20200929184551.jpg)

  上記で紹介した小学生の作文を画像データとして取り込みたい場合

などとマークアップしておきます。

編集者ができる原稿整理は、テキスト原稿のマークアップまでです。画像データの処理は専門外です。

通常は、デザイナーやDTPオペレーターが作業します。この分野は、編集としての方針を示すだけにして、細部はエディトリアルデザイナーのような肩書を持つ、デザイン領域の専門家にまかせましょう。

2.2 なぜエディタでテキストを扱うべきなのか

エディタには、テキスト文字例を挿入、削除、コピペ、検索、置換をする機能しかありません。Wordのように文書を書式として整えたり、図を取り込んだり、画面でプレビューした通りに印刷する機能もないです。

そのような単純なツールを使って、なぜテキスト処理をするのかについてを、ちゃんと説明すると長くなるので、手短かに圧縮して説明します。

ちょっと理屈くさいので、平易に言い換えてみます。

人はテキストによって、考え、行動し、コミュニケーションしているので、
その活動のために、読み書きはしっかり身に着けよう。

そのための道具として、昔は紙とペンが使われていたが、
今はPCという便利な環境があるので、エディタを使ってテキストで読み書きしよう。

というのがエディタでテキストを処理すべき理由です。


3 Markdownによるマークアップ編

前回、「原稿はテキストで書こう」、「テキストの構造は、マークアップ言語で印をつけておこう」、そうすると、内容とデザインを分けられるので、その後の工程が楽だ。と書きました。

3.1 四の五の言わずにマークアップしろ

今日はその実践です。

はじめてのMarkdown―軽量マークアップ言語の記法と使い方

3.1.1 簡単に習得できるマークアップ言語を使おう

原稿を、ただ書きなぐるなら、Markdownという軽量マークアップ言語が最適です。ここでの軽量とは、タグをキー入力する手間が少ないという意味です。誰だって、見出しを目だたせたいためだけに、

<font size="5" color="#0000ff">
悪目立ちしてるよ。
</font>

なんてgdgd書きたくないでしょう。

ホームページ作成スキルがあれば、

<h5>
htmlの5番目に大きな見出し
</h5>

と書いて、色指定はCSSで定義しようと思うはずです。

さらに手数を減らして、

# はじめに
本書は、横着して本を編集するために書かれた。美点は3つ。
1. 思いを言語化できるのが人類の可能性だ。テキストで語ろう。
1. いいたいことの意味と、それを表現する方法を分けて扱うとカッコいい。
1. wordが改善されるよりも、自分を変えたほうが早い。

みたいな記法でも、最低限の文章の構造が表現できるんじゃないか? と、発見してしまうかもしれません。

3.1.2 Markdownは最もシンプルなマークアップ言語

そのような最も軽いマークアップ言語の代表が、Markdownです。なんだかGNU 6みたいな名前ですね。

実際、上のMarkdown風記法のテキストファイルを処理すると、100ms程度で、次のようなhtmlに展開してくれます。

はじめに

 本書は、横着して本を編集するために書かれた。美点は3つ。

 1. 思いを言語化できるのが人類の可能性だ。テキストで語ろう。
 2. いいたいことの意味と、それを表現する方法を分けて扱うとカッコいい。
 3. wordが改善されるよりも、自分を変えたほうが早い。

3.1.3 地味に便利を感じてみる

ここで、箇条書きの数字が付け直されていることに注目してください。

原稿の時点では、「数字付きの箇条書き」という抽象的な印だったタグが、出力されたhtmlでは、「順位のある箇条書き」という具象として表現されています。

これは、Markdown記法→htmlに変換するときに、pandocというツールを使って、「1. で始まる箇条書きは、上から順に番号をつけ直す」処理が実行されたからです。

地味ではありますが、手堅くテキストを構造化するメリットが活かされています。

3.1.4 Markdownを始めるには

テキストをMarkdown記法でマークアップしておくと、そのテキストは、Markdown対応のブラウザやメーラー、WYSIWIGエディタ、ブログ系ツールなどで、視覚的に見ることができます。

また、ツールを使えば、.html、.pdf、.word、ePub形式のファイルに変換することもできます。

Markdown記法の詳細は、ひとまず細かい話である上、習得に必要な時間は30分程度から可能です。あとは次のサイトなどを見て、会得してください。

Markdownとは―日本語Markdownユーザー会

3.1.5 しかし、Markdownの限界は低い

Markdownは、おそらく世界でもっともシンプルなマークアップ言語です。その分、表現力の幅は狭く、使いにくい部分もあります。

とはいっても、シンプルなので、原稿を書くときの思考をじゃまされません。また、文芸的な文章と比較したとき、より複雑なテキスト構造を持つ技術文書であっても、文の構造を表現するのに足りる、必要十分な記法が用意されています。エンジニアなら、ドキュメントを書くときの第一選択肢はMarkdownです。

わたしも、書き起こし原稿を書くときや、Webで社内マニュアルを制作する場合はMarkdownです。ブログのはてなもMarkdown記法で書けるんだった!7

3.1.6 Markdownをhtmlやdocxに展開させる

Markdownは記法(原稿の書き方)に過ぎないので、その構造をWebやpdfや冊子体(本)に展開するには、別途、構造を.htmlなどで視覚化して表現するための処理が必要になります。

使いやすいのは、pandocというテキスト変換フィルタです。

[ある記法のテキスト]→[別の記法のテキスト]に、コマンド1行で変換してくれます。

次のLinuxコマンドは、上記のテキスト原稿ouchaku.mdを、ouchaku.htmlに変換する場合の、コマンド例です8

$ pandoc -s ouchaku.md -o ouchaku.html

3.1.7 pandocというツールが凄すぎる

pandocには、単に変換フィルタと呼ぶのが失礼だと思えるほどの、すさまじい機能が実装されています。まず、前述の例で、箇条書きの数字を付け直す処理をしたのはpandocです。

しかし、そんな地味な例を飛び越えて、pandocは、TeXの組版エンジンを通じてpdfを生成するとか、プロプライエタリな形式である.docxを生成できたりします。フィルタというよりも、ドキュメントのビルド環境と呼んだほうがふさわしいです。

pandocガイド

3.1.8 MarkdownでWord文書を書く

次に、markdownで書いた原稿を、pandocによるコマンド一発でwordの.docx形式に変換してみる例を挙げます。

2019年12月11日
総務部 有栖 りもん

表題の件、過日の新人研修の受講内容を以下の通り報告いたします。

## 研修の目的および目標
- 目的:新入社員の基本も身につける。
- 目標:当社の企業理念を理解し、社会人としてのマナーと実務で必要な
PCスキル習得する。

## 研修を通じた自己評価
1. **良かった点** 苦手としていたPCスキルについて、受講したことを習得した。
1. **悪かった点** ビジネスマナーテストは満点だったので、
知識面での習得ができた。

しかし名刺交換の実技において、相手の名前の復唱もれを指摘された。

行動計画

社会人としてのマナーについて今までばくせんとしていたが、
実務として触れることができた。
指摘事項の名刺交換時の名前の復唱もれは、着任後フォローしていただく。
今月中には正しい対応を身に付けたい。PCスキルについて、OJTを通じ、
来月中にはOfficeの使用を実務上問題ないレベルにまで身に付ける。
自身の日々の業務が当社の理念に繋がっている事を意識し、
不明点は都度先輩、上司に積極的に聴く。

以上

次の文書は、上記のテキストから、pandocを使って生成した.docx形式の文書です。