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会社ヒストリー

かつては、年間60冊も本を作って調子づいた弊社です

現在は年間数冊のペースで、個人商店のようにゆっくり本を作り込んでいます




社長目線のヒストリー

2022年

▼ 以前勤めていた研究機関に、今度は特任研究員として復職しました。研究テーマは千年後においても再現可能性の高い、コミュニケーションシステムの設計です。


2021年

▼ R3年度まるごと、地方の小学校で学校図書館司書をやりました。子どもがかわいい! 先生方がやさしい!! でもブラックなんです。



2016 - 2020年

▼ 非正規お勤めは今年度で雇い止めなので、本業である編集業の比率を徐々に増やしました。とどのつまり、出版文化に貢献することが弊社の使命なので、そこにリソースを集中させます。

▼ 「ゼロ知識証明」という、そんなことはやったこともできもしないくせに、結果を出せてしまう理系力を使って、お勤め仕事を乗り切りました。

▼ あいかわらず貧困状態にあるので、国の研究機関に勤めはじめました。特任技術専門員という、特命係長みたいな肩書きのITコマンドーをやってます。

▼ 図書館員→経営者復活です。編集者として、本を5冊作りました。古書店カフェを閉店して改装し、「森の書斎 清里文庫」という隠れ家系賃貸物件の運営をはじめました。

▼ 東京近郊の中都市の図書館員をやりました。育休代替職員でも地方公務員扱いで兼業不可だそうなので、会社を一時譲渡しました。



2011 - 2015年

▼ 北杜市で、清里文庫という古書店カフェを開業しました。

▼ 沖縄、鎌倉、横浜、清里でシェアハウスの運用を開始しました。不動産運用で収益を上げ、本業は楽しいことしかやらない魂胆です。

▼ 地方の図書館で雇われ館長。その後、科学系博物館で執事のパフォーマー(個人)。

▼ 沖縄で一級小型船舶の免許を取りました。別府でタイムスリップしたかのように司書講習を受けました(個人)。

▼ 仕事ナシ。すっかり隠居の気分になって、本社を下北沢→鎌倉に移転しました。



2006 - 2010年

▼ でも仕事は嵐のように過ぎ去っていった。平穏な個人商店に戻りました。

▼ 大型案件が数年続いて、そこでひと儲け。以前のスタッフ再集結です。

▼ 日本に戻ってからも、余韻で2CVで日本を一周しました。

▼ 1人会社で運営。仕事はほどほどにして、世界を3周くらい旅行しました。仕事があると、リオデジャネイロからでも東京に戻って作業するので、それだけで世界一周分。

▼ プラットフォームをクラウド化。DTP環境もInDesignが主流になった。



2001 - 2005年

▼ その後儲からなくなったので、会社をミニマムな経営状態にまで縮小。1Rマンションの一室で営業している、個人商店になりました。

▼ ちょっとエッチなCD-ROMで、少し儲かった時期に、編集部を下北沢のデザイナーズマンションに移転してみた。

▼ bk1(現honto)で、ネット書店員のアルバイト。

▼ 編集はCUI、DTPはQuarkXpressという環境に一新。



1990 - 2000年

▼ この頃は、TeXによる組版システムに力を入れて書籍を制作していました。

▼ 子会社として版元を立ち上げ、数冊出版したものの、すぐに資金が行き詰まり頓挫。

▼ でもまあ、プロダクション業は順調だった。スタッフ10名で、年間60冊くらい本を作っていた。

▼ 書籍に向いているのに、無理に雑誌を創刊したこともありました。見事に3号で休刊。

▼ NewsやSunなどのUNIXマシンを導入し、社内ネットワークを構築。CUIベースの当時としては先進的な統合編集環境を整備しました。10BASE5規格の、太い同軸ケーブルを使っていた時代です。

▼ シトロエン2CVという、不便で奇妙な社用車を買いました。



1988年

▼ もと版元編集者らによって、下北沢で創業。



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