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会社ヒストリー

2005年に休業宣言したくせに、2008年からまた再開してしまいました

かつては、年間60冊も本を作って調子づいた弊社ですが

今は年間4冊くらいのペースで、ゆっくり本を作り込んでます

もはや、企業の体をなさない、個人商店の隠居仕事と言えるでしょう




※いちばん上が最新です


22年目 2010年

▼ 1人で6冊も編集して疲れました。来年は、もう少し楽をしよう。



21年目 2009年

▼ いっぱい来た仕事が嵐のように過ぎ去っていきました。一緒にやってたスタッフも方針を変えて転職です。出版にはどこにも仕事がありませんなあ。

▼ と思ってたら、年末にばたばた新規の案件がきました。社長が一人で編集だけ受注して仕事してます。本来ならこういう寒い時期は、南半球に逃避なんですが、進行が無理めなので、熱海や湯河原の温泉から下北通いです。朝晩温泉につかっても、体が冷えます。最近は老眼もきつくて、校正紙を見るのがつらいです。

▼ 元首相の細川護熙が、湯河原に庵を持ってお茶や陶芸など隠居三昧でうらやましい。社長も最近、これまで特に名称のなかった八ヶ岳にある倉庫別荘に、「可愛荘」という名前をつけてみました。


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20年目 2008年

▼ 日本を一周している間に、また本を頼まれました。そのとき、以前弊社にいて広告系に行ったスタッフが、「もーばかばかしくてやってらんない! なんで見ず知らずの会社の、興味も関心もない商品を、私が褒めなくちゃならないのよ!!」とか、現実社会が嫌になったらしくて、また一緒に仕事することになりました。まあ、でも弊社だって嫌いなOSに載ったクソフト褒めてるんですけど。



19年目 2007年

▼ 会社のオーナーが、今度はシトロエン2CVという古い車で、日本を一周しました。世界以上にまったく何も見つかりませんでしたが、道の駅では必ずトイレに寄って、ネコのようにマーキングしてきました。これでもうニッポンは、すべて弊社のナワバリです。



18年目 2006年

▼ 会社のオーナーは、自転車、モーターサイクル、車(+普通の交通機関も)などを使って、世界を3周くらい旅行していました。でも世界を回って見つかるものなど、何もありませんでした。



17年目 2005年

▼ いろいろやったけど、ダメでした。10月末に営業を終了する予定で、各種調整を行っています(8/18現在)。

▼ 無事、終了しました。なんだか、儲からない会社をうまくたためて、ほっとしています(10/31現在)。

▼ 残務整理も終わって、社長はまた千年旅行の行に出かけてしまいました(12/10現在)。



16年目 2004年(新潟大地震)

▼ 社長が千年旅行と称しながら、半年だけ海外旅行に出かけてしまいました。

▼ あまりに儲からないので、会社をミニマムな経営状態にまで縮小しました。マンションの一室でやっている、たんなる個人商店になりました。

▼ 縮小したメリットもあります。3年ぶりに単年度黒字になりました。しかし、累損が1000万くらい残っているので、気が抜けません。

▼ 会社をやめた人たちは、プログラマになったり、看護師を目指したり、広告系出版に移ったりとさまざまです。書店売りの出版にこだわっていても、あんまり良いことはないと思います。

▼ 主事務所=ダイアビル4F(代沢5)、引越し回数 1、事務所数 1、従業員数 4


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15年目 2003年(イラク戦争)

▼ 2期連続して、赤字になりました。前期の投資の影響ではなくて、この1年の間に、単価がすごい勢いで下落していったのが原因です。だんだん、商売の潮時のような気がしてきました。

▼ とりあえず、これ以上赤字を拡大させないために、経営規模を縮小し、会社をアイドリング状態にして、様子を見ることになりました。

▼ さらにこの年は、おかしな人や、非常識な組織から、たいへんな迷惑をこうむりました。弁護士にも相談することになり、さんざんでした。

▼ 主事務所=パワーハウス2F(代沢5)、引越し回数 0、事務所数 2、従業員数 7



14年目 2002年(日韓ワールドカップ)

▼ 会社でちょっとクラゲを飼ってみました。

▼ また版元を買わないか、という話になり、また消えていきました。相場は200万円くらいのようです。

▼ 編集部を、いわゆるデザイナーズマンションに移しました。それに合わせて5年ぶりにイスや机を一新しました。モニタもすべて液晶にして、さらにPCとDTP機材も最新のものに買い換えました。けっこうな投資です。

▼ 10年近く黒字だったのですが、今期は出費が重なったので、500万の赤字になりました。

▼ 今度は別の取締役が、結婚してから妊娠して、産休に入りました。

▼ 主事務所=パワーハウス2F(代沢5)、引越し回数 2、事務所数 3、従業員数 8



13年目 2001年(9.11テロ)

▼ 社長がbk1で、ちょっとバイトしました。書籍流通の厳しさに、しっぽを巻いて会社に帰ってきました。

▼ スタッフ1名が、また翔泳社に転職しました。しかし、その人がまた弊社に発注してくれるので、ラッキーです。

▼ 3年ほど使用していた事務所が、何度も天井から漏水を繰り返します。機材が危いのに、大家さんに話をしてもらちが空かないので、けんかして退去しました。とりあえず、本店のマンションの一室に戻りました。

▼ 取締役の1人が産休が終わって戻ってきました。

▼ 主事務所=ダイアハイツ6F(代沢5)、引越し回数 3、事務所数 2、従業員数 6



12年目 2000年(シドニーオリンピック)

▼ 2年連続で税務調査が来て、まいりました。1度来られると、立ち会いの税理士さんに15万円くらいとられるんです。調べたところで、何も追徴できるものなど出てきませんよ。

▼ 取締役の1人が、妊娠してから結婚して産休に入りました。

▼ 主事務所=月鳳ビル2F(代沢5)、引越し回数 2、事務所数 3、従業員数 9、



11年目 1999年(東海村臨界事故)

▼ ちゃんとした取次口座がある小さな版元を買わないか、という話があったのですが、話は立ち消えになりました。

▼ ちょっとした仕事のピークがありました。さまざまな負債を整理できました。

▼ でも客観的には、会社が儲からない体質に傾きつつあります。見切りをつけて、1人が翔泳社さんに、もう1人が日経BPさんに転職していきました。

▼ 40歳を前にした社長は人生が不安らしく、こっそりと再び大学(今度は理系)に行く計画をたてて、家庭教師など雇い、受験勉強をしました。でも、いつのまにかやめていました。

▼ 主事務所=月鳳ビル2F(代沢5)、引越し回数 0、事務所数 2、従業員数 10


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10年目 1998年(長野オリンピック)

▼ 社長が3ヶ月くらい、米国に語学留学にいってました。つまり、会社は平穏です。

▼ その帰りにカンボジアに行って、クーロン黒沢に会いました。やっぱり米国よりも、アジアのほうが、居心地がいいという結論です。

▼ たいへん恩義を感じているアスキーの経営が傾いて、心配になりました。西和彦がやめました。

▼ 主事務所=月鳳ビル2F(代沢5)、引越し回数 0、事務所数 2、従業員数 11



9年目 1997年(酒鬼薔薇事件)

▼ SunOSから、自作マシンのFreeBSDに移行しました。メーカー製のUNIXマシンは200万円もしたのに、こんどは1台20万円です。

▼ 社長が多摩ニュータウンに引っ越しました。「あのねあのね、すぐ近くが耳すまのロータリーなんだよ」と、うれしそうです。

▼ 主事務所=トピア新代田3F(代田5)、引越し回数 3、事務所数 3、従業員数 8



8年目 1996年(ペルー日本大使公邸人質事件)

▼ 2名のスタッフが、アスキーに転職しました。弊社で学生バイトだった1名は、けっこう評価の高い理系の大学院を卒業したのに、きちんと人とお話ができないので、普通の会社は採ってくれなかったのです。

▼ 主事務所トピア新代田3F(代田5)、引越し回数 2、事務所数 3、従業員数 11



7年目 1995年(阪神大震災/地下鉄サリン事件)

▼ 本業は手堅く売上げが戻ってきました。ホッとしました。

▼ 今度は版元として子会社を作って、書籍で打って出ました。8冊くらい出版しましたが、すぐに挫折しました。書店営業をなめすぎです。

▼ 借りてた八ヶ岳の別荘の井戸が涸れてしまいました。ちょうど円高だったので、海外からトレーラハウスと木製ガレージを輸入して、同じく八ヶ岳にあった親の土地におかせてもらいました。

▼ インターネット接続環境が整いはじめました。UUCPともお別れです。

▼ 主事務所=トピア新代田3F(代田5)、引越し回数 3、事務所数 4、従業員数 10



6年目 1994年(関西国際空港開港

▼ 反省して、こそこそと、まじめに営業しました。社長は、4畳半トイレ共同のアパートで生活しました。

▼ 小エロなCD-ROMで、少し儲けました。儲けたお金で、下北沢の古いマンションを買いました。それが現在、会社を本店登記している場所です。

▼ 昔、住んでいて楽しかった八ヶ岳に、今度は別荘を借りました。週の半分くらい、そこで生活していました。

▼ 組版システムが、だんだんTeXからQuarkXpressになっていきました。

▼ 主事務所=シェルボ下北沢6F(代沢5)、引越し回数 5、事務所数 4、従業員数 7


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5年目 1993年(記録的冷夏で米不足に)

▼ バブルがはじけました。業績が急激に悪化し、矢継ぎ早に会社の規模を縮小しました。事務所も、下北沢のワンルームマンションに戻りました。

▼ 雑誌も休刊しました。アスキーに泣きついて、優秀なスタッフを何名か転職させてもらいました。とほほ。

▼ 主事務所=RFビル5F(和泉1)、引越し回数 4、事務所数 3、従業員数 17



4年目 1992年(バルセロナオリンピック)

▼ 書籍に向いているのに、無理して雑誌を創刊して、玉砕しました。

▼ 複数あった事務所を、明大前のビルの50坪くらいのフロアにまとめました。もうDsys史上、最大最強に勢いがついていた時期です。

▼ 主事務所RFビル=2F(和泉1)、引越し回数 4、事務所数 4、従業員数 20



3年目 1991年(湾岸戦争)

▼ バブル絶頂期で、みんなで海外旅行に行きました。

▼ フィリピン人をバイトに雇ったのですが、ほとんど言葉が通じなくて、泣かれてしまいました。

▼ Newsや、SunなどのUNIXマシンを入れ、社内をLANで接続するようになりました。まだ、10BASE5規格の、太い同軸ケーブルを使っていた時代です。

▼ 主事務所=ネクサス新代田1F(代田5)、引越し回数 2、事務所数 3、従業員数 16



2年目 1990年(東西ドイツ統一)

▼ もとアスキーの同僚がきて、取締役に加わりました。

▼ シトロエン2CVという、不便で奇妙な車を買いました。

▼ この頃の弊社の組版システムは、TeXでした。

▼ 主事務所=ネクサス新代田1F(代田5)、引越し回数0、事務所数1、従業員数8



1年目 1989年(昭和天皇崩御)

▼ すぐ手狭になって、一面が全部ガラス貼りの小じゃれた新築ビルに移転しました。

▼ 社長は、大原にあった、幽霊屋敷のような素敵にいい感じの、築40年以上のビルの一室に住んでました。会社でPCなどいじっていても、私生活では古いものに囲まれて、しっぽりとやりたかったのだそうです。

▼ 主事務所=菊地ビル6F(北沢2)、引越し回数 2、事務所数 2、従業員数 6



0年目 1988年(青函トンネル開業)

▼ 下北沢の、茶沢通り沿いのワンルームマンションで創業しました。

▼ 最初にバイトちゃんを、2人雇いました。

▼ 主事務所=菊地ビル6F(北沢2)、引越し回数 2、事務所数 2、従業員数 4



それ以前(主に社長の経歴)

▼ 大学(経済学部)を卒業して、貿易会社に就職しました。その頃は、貿易商になりたかったのです。でも、毎日スーツを着て出勤するのが死ぬほど苦しかった上、「部長」「課長」などと、人を肩書きで呼び合うのにも慣れず、半年で退職しました。今、考えれば、一点のくもりもない良い会社だったのに、ごめんなさい。

▼ 夜の警備員になりました。警備するふりして、寝てたので、楽でした。

▼ パソコンに興味をもちはじめ、欲しくなりました。でも当時は給料3ヶ月分くらいしたのです。そこで、創業まもないアスキーにバイトでもぐりこんで、思う存分使わせてもらいました。

▼ 成り行きで本を作りはじめました。これがけっこう楽しくて、はまりました。何ヶ月もアスキーに泊まり込んでアレコレしているうちに、3年たちました。

▼ フリーの編集さんとして独立しました。八ヶ岳の古い民家を借りて、都内から引っ越しました。よかったなあ、大自然の小さな家。猫と一緒に2年間暮らしました。

▼ 世の中がパソコンブームにわきました。仕事も質、量ともに急速に拡大していきました。自分だけ八ヶ岳で仕事をしていると、いろんな人に迷惑をかけてしまうことがわかり、東京に戻って会社(弊社)を作りました。それが28歳。


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